昭和62年11月16日付で、30歳の時に郡山市の職場に転勤しましたが、
住むところが、妻のおじさんに手配してもらった郊外の5階建ての団地で、
その1階に住みました。
八王子の時と違って、階段は登らなくてよかったのですが、湿気がひどい所でした。
窓が結露して、壁も結露しているような場所があちこちにありました。
2DKの広さもあり、急遽探してもらったのですから、贅沢は言えないのですが、
湿気のひどさは住んでみて初めてわかったことですから・・・。
八王子の時は同じ郵政の仲間の宿舎でしたが、この団地では、
知り合いもいなくて、団地付き合いがちょっと苦労しました。
基本やさしい人が多いですが、色んな人がいますからね。
子育ての環境には、あちこちに小さい子供の声がするような静かでいい所でした。
ちょっと難点は、食べ物を買う場所が遠かったというところでしょうか。
歩いてて10分くらいの所でしたが、行はよいよい帰りはこわい感じでしょうか。
なんせ帰りは、荷物があるので、両手がしびれますから。
通勤はと言いますと、交通手段は、鉄道やバスもありましたが、
バスは時間が一定には走れないので、やめました。
鉄道を利用して通勤することにしました。
団地から最寄りの駅まで徒歩10分、鉄道に乗って15分、
職場は郡山駅から歩いて10分くらいの所にあり、
3軒隣が東邦銀行の支店があり、忙しい職場でした。
通勤時間35分と東京の時とは比べると約3分の1に短くなり、
朝早起きしなくて済みましたし、体も楽になりました。
また、同じ福島県内なのですが、地方ごとに方言があることを初めて知りました。
みんな一緒だと思っていましたから。ここでもちょっとしたカルチャーショックでした。
郡山弁の独特な言い回しがあって、ここでまたちょっとした言葉の壁を実感しました。
理解するのに少し苦労しました。
郡山の生活に慣れてきて、ちょっとした買い物等に不便を感じてきましたので、
人生初めて自動車を買おうと思いました。
しかし、車を売っている所が団地より遠っかったのと、
どの車を買っていいのかわかりませんでした。
この頃はまだパソコンも携帯も発達していなくて、黒電話の時代でしたから。
そこで妻のおじさんの出番でした。
妻のおじさんは、姪っ子が近くに来たという事で、
喜んでいましたし、なんせ世話好きな人でしたから、
何かと気にかけてくれていましたので、車のことを相談しました。
ここで今思うと、妻のおじさんはすごい人で、神道を学び役職をしていて、
なおかつ華道の師匠でもあったのですから、礼儀作法には厳しい人でした。
ほんとに人生の師匠と思えました。
近所好きあいや人間関係を妻とともに学んだ気がします。
東京に居た時は、隣は何をする人ぞ的な感覚がありましたが、
ここは基本皆親切でしたから。
妻のおじさんと出会えたのは、30歳になって初めて、
人生の師匠的な人と出会った気がしました。
そんなこんなで、車屋さんを紹介してもらい、スズキのアルトを買いました。
軽自動車ですが、小回りも聞いて家族で乗るにはちょうど良かったし、
なにより財布にやさしい車でしたから。
しかし、この当時のガソリンの価格は185円でした。
その後は値下げになり100円の時代がありましたが、
今の住んでいる場所では、ガソリン価格は、182円です。
なんか昔の値段に戻ったような気がしました。
車を買ってから行動範囲が広くなりました。
休日は、郡山市内のあちこちに出かかて、
ピクニックしたり買い物をしたりしていました。
そして、1年位したころ私はひどい風を引いてしまいました。
医者に行くのに車を運転できない状態で、
市販の風邪薬を飲んで何とかしていました。
これがいけななったのかわかりませんが、
この時気管支ぜんそくになってしまいました。
夜に発作が起きるようになり、ヒューヒューゼーゼーうるさいくらいです。
妻も眠れない時があったようです。
平成2年4月32歳の時に、同じ市内の職場に転勤になり、
車でないと通えない場所にある職場でした。
通勤時間1時間位かかる場所でしたので、
ぜんそくのこともあり、転居することを決めました。
アパートを探しをして、なんと運がいいことに、
駐車場付きの一軒家がみつかりました。
かなり古い物件でしたが、日当たりもよく、静かな所でしたし、
近くに大型スーパーもあり便利な場所でした。
これで通勤時間30分くらいになりました。
新しい職場は、駐車場があって車通勤になんの支障もありませんでした。
新しい職場や通勤にも慣れて、私自身の行動範囲も広くなりました。
職場のグループの会議に出席するようになり、違う局の人とも顔見知りになりまして、
いろんな情報を提供しあえるようになりました。
職場での地位が上がったからこそだと思いますが。
6月になった頃次女が生まれました。
また、私の母に産後の面倒を見てもらえるよう頼みました。
今度は2歳の長女もいるので、前回とは違いますが、
スーパーがあるって5分かからないので、便利だったと思います。
母には、2度も妻の面倒も見てもらって、感謝しかありませんでした。
母がいない間は、一人きり残された父にも感謝です。
ぜんそくも落ち着いてきて、風邪をひかなければひどい状態にならないので、
健康管理にはこの頃から気にかけるようになりました。
郡山市に転勤して以来、エリー先生の所には、
いかなくなったのと同時に生活に追われてしまい、
古代エジプト霊智自己防衛法の色彩瞑想はすっかり忘れてしまいました。
スピリチュアル的には、すべて感情は、周波数(波動)を生み、
波動にあった出来事を引き寄せるので、
生活の追われて生きるのに精一杯なこの時期は、
周波数も低いものだった思います。