エリー先生と知り会う前に、東京にいましたので、
1年付き合った彼女はいたのですが、
お互いの両親に紹介し結婚する予定でしたが、
その後なぜか意見が合わなく、上手くいかなくなって別れていました。
実家は福島県のどちらも田舎町に住んでいましたので、
どちらかというと封建的な所がありましたので、両親の意向が強く、
結婚を反対されていましたので、家同士の話し合いは平行線、
お互い家の都合ばかり話をしていましたから、
これも食い違いになり上手くいかなかった原因かなと思いました。
なんせ、お互い長男長女でしたから、その傾向は強かった思います。
その後1年位して、母から知り合いのお嬢さんがいるので、
会ってみないかと話があり、彼女もいなかったので、実家に帰り会いました。
家族思いのやさしい女性だと思い、付き合うことになりました。
彼女は、地元にいるので、月に1回帰って、会う。
それ以外は電話で連絡していました。
当時は黒電話でしたので、独身寮は赤電話で十円玉をいっぱい両替して、話していました。
そんなこんなで、遠距離恋愛して1年後に結婚しました。
職場で色々手配してもらい、八王子の5階建ての宿舎で、5階に入居しました。
新婚生活がスタートしました。
引っ越し含めお互いに大変でしたが、妻は、右も左もわからなく、
知り合いもいなくて、苦労したと思います。
唯一の救いは、他の職員の奥様方がやさしい人達でしたので、
いろいろ教えてもらっていたので、何とかなったかなと思います。
勤め先は、新宿でしたので、宿舎から自転車で八王子駅まで20分、
八王子駅から始発に乗って、約1時間15分位だっと思います。
トータル訳90分の通勤時間でした。
この当時はこのくらいの通勤時間は普通だっとような気がします。
23区内は家賃が高かったので、郊外から通勤知る人が多かったからだと思います。
結婚する半年前にエリー先生と知り合っていましたので、
妻とエリー先生の事務所に行くようになりました。
イベントとかあったりした時は、私だけでしたが。
妻に、黄道十二宮の守護石ガーネットをプレゼントしたのは、この頃でした。
そして翌年2月15日に長女が生まれました。
冬の寒い時期でしたが、田舎から母に上京してしてもらい
妻の産後の面倒を見てもらいました。
母も妻と同じで、右も左もわからなく、知り合いもいなくて、
大変だったと思います。
買い物する場所は私が教えましたが、
買い物して荷物を5階まで運ぶのは、ちょっと辛そうでした。
長女が生まれて10か月後くらいに、11月16日転勤の辞令をもらいました。
内命告示は、異動日の10日前しかしてもらえないので、
転勤先が郡山市なので、慌てて引っ越しの準備、
引っ越し業者の手配もしましたが、郡山市の住むところが見つからず、
宿舎は郡山市にはなくて、妻のおじさんが市役所に勤務経験があり、
そのおじさんに住む所を手配してもらいました。
わずか10日間でやらなくてはいけなかったのです。
妻は乳飲み子を抱えて大変な時期でしたので、ほとんど動けなくて、
引っ越しの荷造りには苦労しました。
今思うと、なんと中途半端な時期の異動だったのかと思います。
普通は、4月か10月蔵の時期しか、転勤はなかったものですから、
ほんとにびっくり仰天の出来事でした。
今思うと、これも人生のシナリオどうりだったのでしょうか。
人生最大のイベントが、結婚そして子宝をに恵まれることだった思います。
これも自分で決めてきた、人生の青写真の一部だったといことです。