高校卒業後、東京都新宿区内の郵便局に就職しました。
この頃は、国家公務員ででしたが、
現在は日本郵便株式会社で、
まさか公務員から民間会社員になるとは、
この時は考えも及びませんでした。
皆さんもご存じのとうり公務員と民間の違いは、
よくご存じと思いますが、
公務員から民間になるなんてほんとに
信じられませんでした。
残念!!!!!!!
就職と同時に独身寮に入居しました。
同期は、青森県、山形県、栃木県、
山梨県、宮崎県出身の5名でした。
その当時、自分が訛っているなんて
思ってもいなくて、今思うと田舎弁
・方言丸出しでしゃべっていました。
青森の人とと宮崎の人と自分が話すと
お互いに全く方言がわからず、
話が通じませんでした。
職場は特殊で2~5日間のスパンで、
8局の職場を回るものでした。
これが半年間続きました。
8局回り終えるまでは、緊張マックスで、
新しい環境・人間関係があるわけでから、
それに慣れるのは大変でした。
ポット出の高校生が、突然環境が変わって
右往左往しているのですから。
皆さんやさしく接していただきましたが、
東京弁で話をされていますので、
私の訛りと方言丸出しの言葉は、
なかなか通じませんでした。
この時ほんとに言葉の壁を感じました。
職場に行っても就職したばかりの頃は、
右も左もわからず、中野駅から新宿駅に
電車に乗るだけでも田舎なので、
人は駅にほんとに少ないので、
東京はこんなに人が多いんだと驚愕でした。
新宿駅が広くて出口がよくわからなく
人に酔ってしまい、ストレスが溜まり、
職場でも馴れない人間関係と
言葉の壁でストレスが溜まり、
独身寮に帰っても言葉の壁で、
ストレスが溜まって、
八方ふさがりでストレスが
溜まりまくっていました。
この時は孤独を感じて、
職場に行くのも嫌になり、
ほんとにホームシックになってしまいました。
そんな時、私は福島県出身でしたが、
同期の山形県出身の人だけは、
隣の県同士で何とか言葉がわかるようになって、
それからいつも自分と相手の部屋に行ったり来たりして、
色んなことをしゃべっては情報交換していました。
また、栃木県出身の人も隣の県でしたので
話せるようになり、3人でよく話したりしていました。
二人とも言葉の壁を感じていたようです。
これで救われました。
この頃から、今でも連絡の取りあう友達になったと思います。
独身寮の友達が二人できたことで、
東京弁と田舎弁の違いが判って、
なんとか職場でも話が通じるようになりましたが、
やはり細かい所ではコミュニケーションが
なかなか取れなくて、とても苦労しました。
今の時代は、田舎弁・方言は個性ともとられ
認知されているようですが、
45年以上前の時は、全くそんなことはなくて、
ある種田舎者として蔑まれていることは、
多々ありました。
その当時は、集団就職という言葉があるくらいでしたから、
田舎者が集団で東京に就職していましたから、
それこそ東京の人口に比べれば微々たる人数
ではあると思いますが、、、。
東京に就職して二十歳の頃、
どこの新聞社だったか忘れましたが、
新聞にサークル募集とういうコーナーがあって、
そこで福島県出身のサークルがあることを知りました。
その頃は、携帯がありませんでしたから、
十円玉をいっぱい両替して独身寮の赤電話から
早速電話しました。
その時YHさんと初めて話をしました。
これがサークルしゃくなげ会との出会いでした。
このしゃくなげ会の出会いが、
私の言葉の壁と孤独を癒してくれる
かけがえのない存在となっていきました。
サークル活動は、月に2回位あって、
新宿駅構内の喫茶店ルノワールか
中野サンプラザの11階?の部屋で集まりがあって、
メンバーといろんな話題があり話をしたりしていました。
何か月に1回はレクレーションをしていました。
どこどこの観光名所にメンバーで一緒に遊びに
行くというものでした。
印象的だったのは、当時車を持っている
メンバーが2人いて、サークルのメンバー合計10人で、
車で弾丸京都旅行に行ったことでした。
そんなこんなでとても楽しく過ごせていましたので、
嫌なことがあってもYHさんが何かと親身に
相談にのってくれていたので、
乗り越えられました。